穀物は消費、生産ともに大きく増加
サステナビリティと食糧。人間社会にとって必要な食糧もいつかは枯渇すると言われ、早数十年が経ちました。発端は1972年。スイスにある民間シンクタンク、ローマクラブが、地球資源の有限性に警鐘を鳴らし、「100年以内に地球上の成長は限界に達する」という報告をまとめたことで、食糧問題は急速に地球課題として認識されてきました。特に、食糧については、トマス・ロバート・マルサスが著書「人口論」の中で記した「人は幾何学級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」という言葉を、中学校や高校で学んだ人も多いのではないでしょうか。
ローマクラブの警鐘から40年。世界の食糧事情はどのように変化してきたのでしょうか。この40年間で世界の人口は増加、新興国の生活水準も上昇し食糧消費量が年々増加する中、世界は食糧生産を増やすことで乗り切ってきました。
(出所)農林水産省「海外食料需給レポート(Monthly Report)のポイント」
1970年に約1,100百万トンであった穀物消費量と食料生産量は、2014年には2,500百万トン付近へと2.2倍に増加しています。生産量の増加には、農場を拡大するという穀物収穫面積の増加もありますが、それ以上に一面積当たりの収穫量を増やす単収の増加が大きいとも言われています。単収を支えているのは科学技術の進歩。肥料や農法の改良のほか、穀物の品種改良も貢献しています。健康被害の可能性を指摘されている遺伝子組替え型の穀物も、この延長線上に誕生してきました。
小麦の産地と貿易構造
小麦は穀物の中でも非常に重要な種類です。世界の中で、小麦を原料とするパンを主食とする国は多く、また小麦はパン以外でも、パスタ、ナン、ピザ、グラタン、肉まん、中華麺などの原料として使われています。日本でも、日本でもパン、パスタ、うどん、ケーキなどで年々小麦の消費量は増加しており、2011年についに一人当たりのパン消費額が米消費額を上回りました。このように、小麦の需要は世界中にありますが、一方で、世界の中で小麦の主要産地は非常に偏って存在しています。
(出所)Wikipedia
小麦の生産が豊富なのは、フランスを主力とするEU諸国、ロシア西部と旧ソ連諸国、アメリカ中西部、カナダ南部、インド北部、中国北部、オーストラリア南部、そしてアルゼンチンのパンパ草原です。小麦の生産に適した地理的条件とは土壌が肥沃で降水の少ない平原地帯。小麦の産地が大草原と言われる地域に多いのはそのためです。その結果、世界の小麦生産国も上記の国々に偏っています。
(出所)農林水産省「海外食料需給レポート(Monthly Report)のポイント」
小麦の主要輸出国を見ると、人口の多い中国とインドの小麦は国内で消費されており、輸出国のグラフでは姿を現しません。輸出は、EU、アメリカ、ロシア、オーストラリア、カナダ、ウクライナで80%以上が担われています。一方で、輸出が多いのは、エジプト、インドネシア、アルジェリア、ブラジルなどが占め、日本も世界有数の小麦輸入国です。この小麦の輸出入を表したのが下の図です。
(出所)新しい「農」のかたち
こちらは2006年とやや古い統計情報に基づいた地図ですが、世界の小麦の流れがよく表現されています。緑の線が小麦です。フランス産の小麦は、EU諸国やアルジェリアに、ロシア産はエジプトに、オーストラリア産はインドネシアに、アルゼンチン産はブラジルに、そして世界の穀物庫アメリカ産は、日本他世界各国に輸出されています。
冒頭で見たように、世界の小麦消費量と小麦生産量は拮抗していますが、もちろん常に備蓄(在庫)もしています。米農務省の統計によると2015年8月時点での在庫量は世界全体で221百万トン。国別割合は中国に89.2百万トン(全体の40%)、アメリカに23.1百万トン(10%)、インドに11.9百万トン(5%)、EUに11.6百万トン(5%)、ロシアに7.3百万トン(3%)あり、このうちアメリカとEU、ロシアの在庫が世界の小麦需給のバランサーとして機能しています。特にアメリカの在庫は穀物メジャーと呼ばれる巨大な穀物会社が所有しており、世界の小麦市場で大きな影響力を誇っています。
小麦価格の変動と政情不安
(出所)農林水産省「海外食料需給レポート(Monthly Report)のポイント」
消費・生産ともに増加する中、価格の動向はどうでしょうか。小麦価格は2007年頃から大きく変動するようになりました。特に、2007年にサブプライムローンに端を発する金融危機の際に穀物価格は急騰。そして2010年と2012年にも再度、小麦価格は上昇しました。今日はそこから緩やかに下がってきていますが、人間社会にとって極めて重要である食糧の価格変動は、大きな不安要因となっています。小麦価格の変動の要因となるのは天候不良や旱魃による不作です。2007年には欧州での天候不順とオーストラリアでの旱魃による不作、2010年にはロシアで旱魃、2012年にはアメリカでの降水量不足での不作がありました。前述したように小麦の生産や在庫において、アメリカ、EU、ロシア、オーストラリアは重要な鍵を握っています。これらの国々での気候状況は世界の穀物に大きな影響を与えるのです。では、この不作は何をもたらしたのでしょうか。
(出所)Motherboard
近年の小麦価格の上昇がもたらした最たる例が、中東・北アフリカでの暴動です。特に、2010年の価格高騰は「アラブの春」と呼ばれる社会革命をもたらしたことで有名です。チュニジアでの食糧暴動を発端に、社会暴動は北アフリカから中東地域に波及。結果、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは革命により政権が打倒され、シリアでは深刻な社会情勢不安の末、ISISのような強力な武装勢力を誕生させるに至りました。エジプトが世界最大の小麦輸入国であるように、中東・北アフリカ地域では主食の小麦を輸入に頼っている国が多く、結果世界の小麦市場価格の影響を強く受けてしまいます。この地域の社会不安は、石油や天然ガス採掘にも影響を与え、さらに安全保障問題をも引き起こすのです。
小麦流通のサプライチェーンと日本での小麦価格
日本は国内で販売されている小麦の90%を輸入で賄っています。日本の小麦輸入元は、2014年の統計で、アメリカが51.8%、カナダが31.2%、オーストラリアが16.1%で、この3ヶ国だけで99%を占めています。では、外国産の小麦はどのように日本国内に入ってくるのでしょうか。
(出所)農林水産省
小麦の輸入は1995年までは政府による独占事業でした。1994年にガット・ウルグアイラウンド農業交渉での貿易自由化路線により、1995年から関税を支払えば、誰でも輸入が可能となりました。しかしながら実態としては今でも輸入小麦508万トンのほぼ全量が農林水産省による国家貿易のルートを通ってきています。国家貿易とは、丸紅などの商社が海外で買い付け、その買付小麦の全量を農林水産省が日本に運搬し、農林水産省が買い取るという仕組みです。農林水産省の買取価格は、商社が購入した価格に利益分を乗せた買付価格に港湾諸経費分が上乗せされています。つまり、商社は、価格変動のリスクなく農林水産省が買い取ってくれるので自動的に利益を得られます。一方、民間が自由に輸入する小麦への関税率は252%と非常に高く設定されており、通常商社は自ら民間輸入を行うより、国家貿易として農林水産省へ売る選択をとっています。こうして、農林水産省は小麦輸入を全面的に統制しているのです。
国家貿易のもとで商社が政府に売った小麦は、今度は政府によって製粉会社に販売されます。買い取るのは製粉4社と呼ばれる大きな製粉会社です。日清製粉の調べによると、製粉4社のシェアは、日清製粉グループ本社が38.0%、日本製粉が23.4%、昭和産業が8.2%、日東富士製粉が7.2%で、この4社で76.8%を占めます。政府から製粉会社への販売価格(正式には売渡価格)は、法律で政府が年に3回改定することになっています(現状では暫定的に年2回改定で運用)。この売渡価格には政府の買付価格にマークアップと呼ばれるマージンが課されて設定されます。このマークアップは、値段の高い国産小麦を保護するために、輸入小麦の価格を国産小麦並みに上昇させる機能を果たしています。また、売渡価格と買付価格の差益である政府のマークアップ利益分は、農林水産省が国内の小麦生産者を援助するための補助金として使われています。また、国際的な小麦価格の高騰の際には、このマークアップ分の下げ、外国産小麦価格を安定化させるバランサーとしての役割も果たしています。
(出所)農林水産省
この国家貿易に関しては、2010年10月から新たな制度が導入されています。従来は農林水産省が買い取った小麦は、製粉会社に販売されるまで農林水産省が在庫を管理していましたが、新たに導入された即時販売方式では、商社から農林水産省への販売と農林水産省から製粉会社への販売が同時に瞬時に行われ、製粉会社が在庫を管理する形式が可能となります。この制度により政府は在庫を抱えることなく価格統制だけをすることができるようになりましたし、製粉会社も商社から早く小麦を受け取れるというメリットがあります。この制度のもとでは、食料安全保障上重要な小麦備蓄の機能を政府から製粉会社へ移管されることとなり、政府は一定条件のもとで製粉会社に保管料を支払うことになっています。
こうした政府管理による食品流通の仕組みは、食糧管理制度と呼ばれています。国内産主流の米の食糧管理制度は有名ですが、外国産の小麦にも別の形で食糧管理制度が適用されています。このように農林水産省によって国家貿易が実施されることにより、日本の国内の小麦は国際価格より高くなりながらも、価格変動の影響が小さくなっているのです。
気候変動が小麦市場に与える影響
小麦の未来は明るいのでしょうか。気候変動が未来の小麦生産に与える影響に関しては、数々の研究機関でシミュレーションが実施されています。下の図は、2014年12月にアメリカで発表された論文のデータで、今後30年間に気温が4度上昇した場合の小麦生産高の増減を示したものです。
ご覧のとおり、世界各国で小麦生産高は少ないところで数%、多いところで28%以上減少するという結果が出てしまいました。このように、懸念される気候変動は世界の食糧にも大きな悪影響を及ぼすということがわかってきています。
日本は世界有数の小麦輸入国です。ですが市民感覚としては、政府の価格統制のもとに世界の小麦市場の変動をあまり肌身で感じることはありません。ところが、世界の小麦市場は大きく変化してきており、ときには世界の政情不安の源ともなってきました。日本でおいしいパンやパスタを食べ続けられるようにするためにも、気候変動や小麦のサステナビリティに向けた取組が欠かせなくなっています。
夫馬 賢治
株式会社ニューラル サステナビリティ研究所所長
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